子どもが幼稚園の頃、私は「がんばって~」と我が子に声をかけたことがあります。
そのときに顔見知りのお母さんから「頑張るという言葉を使うのは子どもに負担をかけるからやめた方がいいよ」
というアドバイスをもらいました。
私も理由は知っていました。勤め先でも心に負担を持つ社員が多く、導く立場にある社員に研修があったり、人に対する声かけに注意を喚起するなんてこともありました。
しかし、アドバイスをもらったときは、がんばってと声かけた相手が我が子でまだ年少さん。希望に満ちて幼稚園に向かい、私と別れるときにその日に自分が活躍することを楽しみにしていた様子だったのです。我が子は私と離れることに全く抵抗がない子どもで、振り向くことなく幼稚園の門をくぐる子でした。
その後、忘れていたこの「頑張る」という言葉の使い方ですが、再度私は口にしてしまいました。気をつけてはいますが、私は状況を見て普通に使っていますし、自分自身はこの言葉に嫌な感情は持っていません。
子どもの学校で保護者有志でする会の準備係を各クラス3人選ぶということがありました。もちろん、今までにすべての役員を終えている私は回ってくることはないと思っていました。有志というのが曲者で、みなさんに声をかけたのですがどなたもお引き受けが難しいというのでお願いできませんかとのことでした。
まとめ役の方もメンバーが集まらなく気の毒だったので、仕事内容を聴いて引き受けました。仕事は、約1年後の卒業時に花を買ったりアルバムを先生に渡す準備要員でした。
クラスで3人の要員ですが、誘われたもう一人の方も仕事を聴いたら大したことなく、子どもがお世話になったのでこれくらい受けますよとのこと。
この3人は、すべて役員を終えているメンバーで、ほかに何もやっていない方もいらっしゃいますが、まとめ役の方が「お願いしても良い返事はほとんどの方からもらえなく、無理やり押し付けることはできないので…」とおっしゃいました。
そのときに、私が軽い気持ちで「頑張りましょう」と言いました。
これが、引っかかったまとめ役のお母さん。
「頑張りましょうと言われると…」
彼女は喜んで引き受けたわけではないということなんだと気付きましたが、私ももう一方もポジティブな気持ちで引き受けてはいません。できれば、こういったお役目をしないで過ごしたいと思っています。
きっと、まとめ役の方は誰も引き受け手がいない時はかなり焦っていたのでしょう。
だから、「頑張りましょう」という言葉が、ネガティブに考えていた心に重くのしかかったのかもしれません。
打ち合わせの帰りに、「楽しみながら無理ないやり方で協力してやりましょうね」とお伝えしなおしました。
この現状は、子どもの保護者同士だけではなく仕事の上でもよくある出来事です。
この「頑張る」という言葉を使いづらくなってすでにかなり時間が経っていると思います。
個人的な意見ですが、物理的なできない事情だけでなく精神的な問題もあるので一括りにはできませんが、中には「役目をすることがいやなだけではないか」多様性という言葉を盾に「少し勝手すぎないか」と周りに理解を得られない人も少なくないです。
公私ともに楽なことばかりではないですし、人生には様々なことが起こります。そのような日々の中で頑張らないで済むことはほとんどありません。
本人のするべきことを他人がやってくれるということなどないので、本人がどうにかしないと進むことも乗り越えることもできないのです。背中を押すことが必要なときもあります。
まじめに何かに取り組んでいる人に応援をする「頑張って」はすてきな言葉だと思っています。
気軽に口にできない言葉になっていますが、心から応援している意味での言葉として言いづらくなることがないことを願います。